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  大雲鎮の生態旅行


大雲鎮は浙江省の北東部で嘉善県の南側に位置し、滬杭高速道路の大雲出口の近くにあり、東側は上海市まで68キロメートル、西側は杭州市まで95キロメートルです。
ある書籍『中国城鎮誌の浙江省部』の中に記録されたように:大雲鎮の昔の呼び名は蓉渓と浄衆で、北宋の乾徳二年(紀元964年あたり)、当時のある李氏住民は自宅をお寺とされ、大雲鎮では大雲寺を建設し、大雲寺正南の香火橋を中心に、お寺の南側には浄道街があり、左側は施公廟で、その周囲には露店が並び、街道が賑わって、百何十里の範囲で住んでいた人が焼香に来って、町中は人があふれて賑やかでした。
元末には(凡そ紀元1279年—1368年ぐらい)兵乱の為にお寺と民居は潰れましたが、廟は稀に見る残り物になってから、住民達は神様の御蔭ったと思って、その後、中秋節の前後になると焼香に来た人が多かったです。明の嘉靖(年号)年間、立たられた雲谷寺は規模が大きかった。清の乾隆年間、住民の張さん達は一度修繕しました。清文宗の太平軍叛乱で、お寺はもう一度損害され、主持のお坊主は補修してから、焼香に来た人が多く、お参りが盛んだった。
大雲寺は独特な地理位置を持って、廻りは皆河で、正門から、四つの金鋼神堂、金堂などを設けたもので、敷地面積は15.37ムーでした。お寺には古い樹木が空高く聳えでいた。毎年の旧暦三月九日からの三日間の縁日は規模が凄く大きい上に、大雲寺の歴史は杭州の霊隠寺より百年も上回ていたので、『まずは大雲寺があってから霊隠寺を建築した』という説がありました。遺憾ながら解放後には迷信を解除するために1953年と1974年には二度とお寺を取り壊しました。
改革開放以来、党と人民政府はより一層大雲その観光健勝地の保護と開発に力を入れていました。大雲寺を再建した上に巨資を使って、全長7キロメートルの水上生態旅行線路を開発しました。(沿線沿い面積は14万平米)舟の中に揺れて水流や、鳥鳴り、釣に来った人々などの取り合わせで変化をつけ、自然のままの風情を出しています。大雲のもう一つ素敵な風景になりました。
第十五の三中会の半ば以来、レジャーセンターを建設した、敷地面積は23.89万平米で、15棟の中高級別荘からなり、(中には会議室、商務センター、飲食店、商店、行政管理センター、ピアノつけ酒場、健生運動中心、ダンス屋、卓球、ボウリングなどの娯楽施設があり、その外に農業経済の発展や環境の保護、旅行の開発、生態のブランス、総合発展を考慮に入れて、近代化的、優れたの農業団地を建設する為に敷地面積84.15万平米の生態農業団地も建設されました。