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  七百年の文化古跡である呉鎮記念館(即ち梅花庵)


呉鎮(元の時代の文人画の鼻祖)記念館は嘉善県博物館及び梅花庵文化保護所と一緒に魏塘鎮の花園路178号に位置し、敷地面積は298平米で、建築面積は1657.5平米です。
当記念館は2000年8月に建てられ、明清時代の建築の特徴を模倣し、元の梅花庵や呉鎮墓と風味がそっくりなので、館内の東屋、楼閣、水流小橋、梅樹と竹や池に飼った金魚など古跡と新景は交互に融合し、ぴったりしますから江南地区の名門文化観賞地になりました。
館内の主な古跡と景物は梅花房、呉鎮墓、梅花亭、八竹碑、草書き心経碑(仏教書道みたいのもの) 、梅花泉、洗硯池、仁本堂墨刻碑、古石碑、漁夫図碑廊、呉鎮陳列室、呉鎮彫像、林泉居、扇亭、水垂れの築山など色々ありました。
1981年4月には浙江省人民政府の批准のしたで、呉鎮墓は浙江省重点文物保護地になりました。1998年2月、更に省クラスの愛国主義教育の基地になりました。
呉鎮(生年1280---卒年1354年) は嘉善の出身で、仲圭と梅花道人とも呼ばれ、元の時代の四つの名門画家の一人でした。呉鎮は十八、九歳から絵画を学び、彼の山水画は董源を師承にしたが、師より秀でることがあり、取材は主に漁夫と墨竹などで、彼は何時も詩作を画に書きますので、当時の人々は彼の詩、画、書を世の中の『三つの絶技』と称讃しました。残された作品は主に『漁夫図軸』『漁夫図巻』『松泉図軸』『嘉禾八景図巻』などがあります。中国の絵画史の中で呉鎮は終生隠居で、隠逸の画風で目立ちます。文人画の隆盛期の元代には、呉鎮の作品は独自の特徴で、文人画独特の文化質を現れました。呉鎮の作品は絵画史の中に替り物のない価値と意義を持っています。
梅花庵は呉鎮墓の附属建築物です。記載によれば、明の万歴年間(1588-1589年) 、道人の徐氏は再建してから、明の万歴三十五年(1607年) 県官の謝氏は墓の回りで石を加え、翌年には碑を建った。明末の崇禎年間、礼部尚書の銭士昇(嘉善の出身) は出資で部屋、亭、僧舎を築き、書道家の董氏は偏額の中に梅花庵と言う字を書きました。その後の年代には何回も修繕したが、最近の1990年も一度修繕しました。梅花庵の中には呉鎮墓があり、呉鎮墓の正南に梅花亭があり、亭子の西側には洗硯池で、南東側には泉と八竹碑廊があり、西側は草書き心経碑廊で、東側は前殿と後殿で、北側は僧舎です。
呉鎮墓は浙江省重点文物保護地で、清の『嘉善県誌』下のように記載された:1354年、呉鎮はもう七十五歳になって、自分はもうすぐ亡くなると思って、人を頼んで石碑を作りました、碑に彫刻した碑文『梅花和尚の塔』や右側の『生年至元17年七月十六日12時』と左側の『至正14年九月十五日12時書』は彼自身が書いたもので、呉鎮が亡くなってからあの碑は墓の前に立てられました。明の時代から、碑の上半部は壊れました。1980年には残碑は呉鎮陳列室に入れされました。呉鎮墓は明の万歴35年再修した時に長方形の石を使って、墓の基礎は八方形で、墓の壁は丸形でした。民国と解放後も少し修繕しました。今の墓前は明の万歴36年時任嘉善県官の謝氏が篆書で書った『ここは隠居の画家呉仲圭のお墓』上には『謝应祥書』と下には『万歴36年立つ』と書きました。